池袋のニーチェ

 ハンドルネーム 池袋のニーチェ
 住所 東京都
 性別
 ライター経験 あり
 400字当たりの希望単価 2000円以上を希望(内容によっては応相談)
 得意とするテーマ 偉人の面白エピソード。

笑芸人(古い人から新人まで)と昭和の俳優(「日刊ゲンダイ」で隔週で連載中)
 自己PR 竹本幹男の略歴と全仕事

1951年(昭和26年) 8月30日、大阪府八尾市に生まれる?

1970年(18歳) 全寮制の東京・東村山市にある私立の明法高校を卒業。            当時の学生運動の影響でドロップアウト。以後27歳まで、土木作業の補助、世論調査員などのアルバイト。夏は海(八丈島、新島、与論島)、冬はスキー場(八方尾根、栂池、妙高高原)で民宿やホテルのヘルパー。「ナンパ馬鹿」人生を送る。この間に色んな女性から人生や処世術を学ぶ。

1978年(27歳) 『本の雑誌』の初期の助っ人に参加。

1979年(28歳) 彼女にフラれて一念発起し、日本ジャーナリスト専門学校(第4期生)のルポライター科に入所。半年後、上野昂志ゼミに参加。

1980年(29歳) 『北都朝日』という朝日新聞社販売店が月刊で発行しているタウン新聞の記者になる。

1983年(32歳) 『北都朝日』を6月に退社。 ★ 伝説のお笑い雑誌『カジノフォーリー』を10月に創刊(編集発行人)。12月の創刊記念ライブには、竹中直人、中村ゆうじなどが出演。以後?2号(84年10月刊)、3号(84年12月)、4号(85年7月刊)、5号(86年7月刊)まで出すが、資金が続かず休刊。

1984年(33歳) 4月、講談社事典局の科学大事典『MEGA』の契約編集者に。

1987年(36歳) 1月、編集プロダクション『スキップ』に参加。フーゾク月刊誌『あそび専門街』(司書房)の編集長に。以後、3年半続ける。

1990年(39歳)  秋、人生に果敢に挑戦する男の雑誌『ボギー』(白夜書房)の編集長に。売れないために2号(10月刊)で休刊。

1992年(41歳) 1月、お笑い演芸専門誌『カジノフォーリー』(吐夢書房)の実質編集長(高田文夫責任編集)。隔月で3号まで発行される。 ★ 7月、フジテレビの深夜のお笑いバラエティ番組『たまにはキンゴロー』と連動したムック『キンゴロー』(ワニブックス)の編集長に。同番組の構成作家としても参加。その後、『続キンゴロー』(1993年2月刊行)、『GAG!GAG!!GAG!!!』(1994年7月刊行)の編集長を務める。 ★ 92年から97年頃にかけて、お笑いライブ『すっとこどっこい』(大川興行主催)、『馬鹿バトルCLUB』(「ぴあ」の大澤氏が主催)の審査員を務める。キャイ~ン、ネプチューン(当時は名倉がジュンカッツ、原田と堀内がフローレンス)、海砂利水魚などがこれらのライブに出演し、育っていった。 ★ 85年頃からライターとして雑誌に原稿を書く。92年の第二次『カジノフォーリー』の休刊後からは、『ぴあ』『日経エンタテイメント』『放送文化』『熱烈投稿』『実話プレス』『中州通信』などで、注文原稿や連載でライターとして活躍する。

1996年(45歳) 雑誌『BUBUKA』6月号から「人面探検隊」(97年11月号まで)を連載執筆。97年12月号から「笑芸人のインタビュー」ページを連載する(2003年5月号まで)。

1998年(47歳) 『日経エンタテイメント』6月号の「お笑い芸人大集合」の企画・取材・文を担当する。

2002年(51歳) 11月、ニューヨークのハーレムに1か月ほど滞在。ブロードウエイのミュージカルを20本ほど見る。貧乏アーティストのボブ夫妻に懇意にしてもらう。彼らの自己アピールの凄さに圧倒され、感化をうける。

2006年(55歳) 『日刊ゲンダイ』に「真説・芸人伝」を1月から連載記事を開始。
 HP http://casino-folly.net